じじい

 祖父は小学校の先生をしていて、子供の頃祖父に「〜ってなに」と聞くとだいたいなんでも答えてくれた。でもわからないことや説明できないこともあって、どれだけ歳を重ねてもそういう欠けている部分があるのだなと幼心に思っていた。祖父はプロテスタントで、共産主義者でふだんは温厚な人物だったが、よく祖母と罵り合っていてその罵声を聞くことがうんざりだった。またわたしはこの人と包丁を向け合うバイオレンスな戦闘をしたことがあり、わたしも「そんだけ生きて感情的になって、自分振り返ってどう思う?」など神経を逆撫でする言葉を吐き散らかしていたためそうなるのもわからないでも無いが、人間の様々な側面はこの人から学んだと思うし、祖父の布団で読み聞かせてもらったゾウの本は特別だったし、70歳を過ぎてからも英語やピアノを練習して「なかなかうまく覚えられないんですよ(彼は子どものわたしにも敬語を使うことがあった)」と寂しそうに話していた姿などを思い出すと、居なくなる実感が湧かない。すでに会話ができない状態なのだが、やはり心臓が止まり、この世から居なくなることを考えると、わたしの一部が欠落してしまうようで、おかしくなる。

 じじいが流動食から点滴になった。もって2週間だそうだ。