ザリガニ

2年買ってたザリガニが昨日死んだ。NJが帰ってきた時、仰向けになって口と足を動かしてバタバタしていた。ザリガニが仰向けになることなんて一度もなかったから奇妙だった。NJはそこから水を換えたり、生き返る方法を探したりして2時間水槽の前に居た。私が残業から帰ってきた時には、時折腹のあたりをぴくりと動かすくらいでほとんど動かなかった。

帰り道、NJと電話をしてザリガニの事態をはじめて知った。その時既にザリガニは殆ど動かなくなっていた。

2022年年末所感

今年も終わってしまうので1年を振り返ってみた。自分の中では今年はかなり怠惰に過ごしていたと思っている。私の理性はとろけたようなそれを、叱りもせず、激励もせず、そのまま柔らかいYogiboで包み込むように許すマインドで過ごすよう心がけていた。
だけど、今年の出来事を箇条書きにしたら、思ったよりちゃんと生きていてびっくりした。客観的な出来事と、心の中の物語は全然違う。

・WETNAPでLPを出した。このご時世に買ってくれる人なんているのかと思っていたら、レーベル速完で驚いた。麻野さんはおかしいくらい頑張っていて、感謝半分と、少し休んだほうがいいと思う気持ち半分だった。私の中では、それらはもはや過去の曲なので、早く新しい曲を作ってそれにどっぷり浸かりたい気持ちがふつふつと湧いている。

・controlでベースを本格的に弾き始めた。コード感がきれいな曲が多い反面、雰囲気が似ていることが多く、感覚で覚えるのが最初の頃難しすぎて発狂した。けど今は自分の手癖も入れつつ身体で覚えたので、ライブが楽しい。音量バランスは常に悩んでいる。

・通信の大学で保育の勉強をしてる。あと2コマ取れば卒業なので頑張ろう。仕事では子どもに伝えたいことをしっかり伝えられるようになってきた。まだまだ〜。

・NJと結婚した。別居婚事実婚でイレギュラーなことは多いけど、自分達で生きやすいように話し合いながら開拓していきたい。

・Mondo san taroというDJをやり始めた。世界のモンドな音楽をジャンル関係なく流してたのしかった。来年もやりたいな。

・仏教(スリランカ初期のやつ、あとティクナットハン)にハマった。食べることも瞑想で、50回食べ物を噛むことを意識してたら食事量が減って痩せてた。別にまた太ってもよいが。
「無常」を意識して、怒りにくくはなったけど、まだ激情はあるからうまく付き合っていきたい。怒らなくなった反面、怒りや悲しみがテーマの音楽や本が合わなくなってきたのがネック。

ポケモンSVでランクマ参戦、まだスパボ級。めちゃくちゃハマってる。

今年一番良かった本は、菊池寛の『恩讐の彼方に』。菊池寛の作品は、人間の心の綾と呼ばれるもの、小さい感情の微振動、決してカッコ良くは無いけれど、人間と機械を分けているもの、そういうことが書かれていると思った。『極楽』が話としてはとても好きで、『恩讐の彼方に』が1番泣いた。今度菊池寛記念館に行って全集を買う。

今年もファナモリーナを聴き、少し遡ってマテオを聞いていた。あと、Weekndのラジオのアルバムも好きだった。適当にジャズも聞いたり、民族音楽を掘っていた。


頑張ることを意識して辞めてみた一年だった。頑張ることに、他者の目線や、社会常識や、プライドが燃料になっていることが多いと思ったから。それだと、ずーっと死ぬまで「自分はなんでも大丈夫」という自尊心は育たないと思った。だから、やる気が無いのに任せてみた。少し不安もあったし、何かを作ってない自分を認めることが嫌なこともあった。でも我慢して、その中から自発的に、楽しみからやりたいと思うことだけやろうと思って生きてみた。そしたら結果ずっとポケモンをやっていた。けど、そのグニャグニャの自分を認めて、ただ好奇心に従う自分を、のんびり眺めて行きたいと思った。

来年はニュージーランドに半年間行くし、どんどん変わって行きたい。変わってっても、色んな人と対話をして、お互いが変わったところを面白がって過ごしていきたい。

将来の夢は

 今日突然に閃きがあって、わたしに将来の夢ができた。
 今までわたしは自立したいと思っていた。言うなれば、将来の夢が自立だった。自立のために意識していた行動は、
 ・なんでも1人でやる。
 ・色んなところに1人で行く。
 ・誰かに助けてほしいと言われたら自分の余力を把握してできる限りのことをする。(むずい)
 ・金銭的に親に頼らない。
など。アラサーになった今はこんくらい余裕だろって思っているけど、5年くらい前までは、一人で行動したり決めたりすることをいちいち怖がっていた。
それも克服し、仕事も安定している今、なんだか生活にやる気が出ない。コロナだからとか、忙しい時期だからとか、そういう理由からじゃない。(バンドのやる気はある。もはや執念。)
働きたくない。
なんで働いてるのか?まずそこがわからなくなってきた。今の仕事は好きだし、学びも多い。だけどしごとの内容じゃなくて、もっと本質的な働くということにが、わからない。1日のうちの大半を仕事に費やしているが、その間自分の自由意志で動いているのはどれくらいだろう。あれ、ほとんど無いじゃん。そう気づいて、悲しくなってしまった。
そもそも、生まれてからずっと自由意志で何かをしたことってほとんど無いんじゃないかと思う。子どもでも、1日のうち、かならず何かしらの義務を負っていて、それは守らなきゃならない。人生を通して義務の内容が歳によって多少変化するけど、囚われていることには変わりない。
ここで、私はふと気づいた。そうか、自分は自由になりたいのだと。
自分の意思で何でも決めたい。
これはフリーランスになりたいとか、独立したいとか、そういう話ではない。
フリーランスや資産家は、自分の裁量は大きいかもしれないけど、やっぱりクライエントや市場に左右されているからそこは自由じゃないと思う。
そうじゃないんだ、わたしは自由になりたい。
自分で1日を区切って生きたい。
厳密な意味での、自由意志で生きている人って、この世の中にどれだけいるんだろう。本当に一握りなんじゃない?
私もそうなりたい。
ということで、今日わたしに将来の夢ができました。
将来の夢は「自由」です。

後ろを向いて2021年を見る

今年の大晦日はビール片手に一人で過ごしている。テレビで紅白とRIZINを行ったり来たりして忙しない。
さっき大好きなギネスビールを机の上にこぼして、日記が濡れて、たこ足配線の穴の中が茶色くなった。

今年のまとめのような文章や、2021年ベスト盤みたいなディスクレビューをよく見るので、私もやってみたいと思った。毎年書き続けて何年も積み重なったら面白いし。
でも、SNSで流すほど、聴いてないし読んでないし、偏っているし、毒も多分吐いてしまうと思うので、こういう時はやっぱりはてなだよね!ということでブログに書く。

・2021年の目標達成度
毎年目標を20個くらい立てている。毎年全然達成できないので、年初めの願掛けや七夕のお願い事みたいになっているけど、それがどれだけできたか5つくらい一応確認しようと思う。

*毎日ランニングをする
ランナー膝になって2月頃辞めた。それ以降は全然運動はやってない。

*毎日500字書く
ブログを毎日やろうとしたけど、なんかパーソナルなことばっかりだし、周りの人間をだしにしているみたいで申し訳なくなってやめた。来年は鍵とか付けてやろうかな。

*fallsのしょうさんを超えるベーシストになる
対バンしてないし全然ライブを見ていないので来年に持ち越し!超える!!!

*WETNAPで最高のアルバムを作る
録音はいい感じだったけどまだ完成していないので来年に持ち越し!作る!!!

*安全な保育
仕事辞めてない!えらい!

 

・2021年かっけーと思ったパンクの曲3つ

*FiddleheadのMillion Times
何度でもやり直そうぜって曲は私は大好きで本当に聞き狂った。でもその他の曲は歌い方が同じでくどくて聴かなかった。

*FreshのGirl Clout
お前は今ですら私のこと知らねーくせにって曲。曲自体は明るいのに怒っていて好きだった。

*Signals MidwestのI used to draw
昔は何でも描いていた、から始まる。挫折すんじゃねー描き続けろって曲。
メロディーの進行が絶妙で泣いちゃう。

実は骨太の、メロディックが、好きだ!!!!!!!!!!
好き!!!!メロディック!!!!!!
ということがわかった今。

エモみたいにピロピロするとしゃらくさいし、激情はナーバスすぎる。グランジ化したシューゲとかは疲れるし。ただ速いだけなのも飽きる。机上の空論ハードコアはうざい。インディーはうにょうにょしてて性格が合わない。

私は性格が悪いけど、でもまっすぐなものが好きだ。

あとはデイヴィットバーンと、NEONEOSをよく聴いた。
ファナモリーナも気に入っていた。


・2021年最高だった本3冊

アンソニー・ドーア『全ての見えない光』
戦争の惨たらしさと、自然の無垢な愛みたいなものが、対比してシビアに書かれていた。この本をきっかけに私は自然や植物が非常に大事マンになってしまった。

*乗代雄介『旅する練習』
サッカー選手になりたい姪とそのおじさんが、茨城まで旅するだけの話なんだが、読み終わったら号泣していて、頑張って生きようとなった。

ヘルマン・ヘッセ『わがままこそ最高の美徳』
タイトルが最高過ぎるけど、わがままっていうのは自分勝手ということではなくて、常に自分自身でいること。真理!!!


・2021年の思い出

*WETNAPで録音をした。前日までは雨が降っていたけど、当日はカラッと晴れていた。
録音をした音源を聴くと、麻野さんのギターも、こいちゃんのドラムも、1音聞くだけでその人となりがわかるというか、「顔の見える音」が出せる人達だと思った。
私は二人のことをハイパー天才だと思っているので、負けないように頑張る。

*1月末にじーちゃんが死んだ。11月に実家のさびのネコが死んだ。その時はるちゃんに慰めてもらって、すごく助かった。思い出すとやっぱり悲しい。今もすでに何かを失いつつあると思っている。だから会える人にはめっちゃ大事だよの気持ち伝えて行きたい。

*面白いうどん好きと付き合い始めた。来年は頑張ってハードコアやってほしいですね。

*M1を友達と見るのは最高だから毎年やる。

やっぱり書いたら考えてることを振り返られていい。
ここまで読んでくれた方は、多分私がとても大切にしている人だと思うので、来年も健康に気をつけて、嫌なことがあったらどんどん私に愚痴っていいので、なるべく楽しく生きてください。

2022年もよろしくお願いします。

くろっしゅ

ライブは明日だけど今からライブする時みたいにドキついてる

 WETNAPの練習が終わり、明日は今年初のライブだから体調を万全に整えるためにおうちでゆっくりしようとすぐ家に帰る。明日のことを考えるとキューっと胃が縮こまるような緊張と、自己解放への期待が交互にやってくる。ライブは私の生きてきた道の中でしるしとして存在する。日々の生活の中にライブという点が現れ、それを頭の片隅に置いて日々の生活を送る。久しぶりなこの感じ、尊い

 帰ってくるとゴミが散乱した部屋にうんざりした。とりあえず収納スペースのいらないものを捨てようと思い立ち、仕分けを始めるとここもあそこもこっちもと掃除熱に火がつき、あっという間に23時になっていた。今まで1回も取り替えたことがなかったマキタ掃除機のフィルターも変えたし、ベッドの下に置いてあったものは全て収納スペースに入れた。すっきり。心を整えて明日のライブに集中できる気がする。でも少しは練習したり、本を読んだりしたかったな…こんなに時間がかかるとは!

 そしてナーサリーティーチャーの工作スキルを駆使して明日の衣装をDIYした。元ネタをわかってくれる人がいたらいいなあ。

 ハピハピな気持ちで眠りにつきます。

今日Twitterに書こうかと思ったけどなんとなくやめておいた

・昨日は仕事終わりにポニおとグリーンさんとうちで飲んだ。2人とも元気だった。ボディポジティブの話になり、「自分が好きな服を着て、自分の満足のいく格好でいればいいんだよ」と100%当たり前のように言う2人はまじかっこいい。芯のある2人。酒も強い。

・アルコールの残る頭のまま8:30起床。不思議と今日という日が輝いている!躁だ!!!!!

雨が降っていなかったからスケボーに乗る。舗装された道をつつーいと進むと気持ちがいい。ひたすらプッシュ、靴裏で止まる練習をした。

・そして躁のままデニーズでモーニングを食いながら保育の勉強をする。保育の本は自己啓発や哲学や思想の本に近いから面白い。メルロポンティの直感知が出てきた。

・本屋に行き長田弘さんの『読書から始まる』を買い一気に読んだ。私たちは言葉があるところに生まれて、言葉に包まれて育つ。もっと日本語を、普段使っている言葉を大切にしようと思う。感銘。

・私は時間があるなら本を読んでいたい。なんでこんなに好きになっちゃったんだろうな。いつのまに。忘れっぽいから内容とか他人に伝えられないことは多いけど、読んでいる時の感情の起伏やイメージが遠くまで飛んでいく感覚は本当に病みつきになる。文字を使ってずっと脳みそを洗濯しているような気分にもなる。この世の中に本があってよかった。ありがたいなあ。

・本をじっくり読んだあと、TwitterSNSに戻ってくると自分の時間だけゆっくり進んでいて、他の人はあくせく動いているような錯覚を起こす。モモみたい。

・ベースを弾く。メトロノームに合わせてもやっぱりなんか違う。長野行きくんのドラムだけ練習用に録音したいなあ。

・夜が深まるにつれ鬱になっていく。親しい誰かがもし居なくなったらどうしようと思って少しメソメソする。けど今は気圧が下がってるから気分も落ち込んでいるんだろう。今日も一日がんばった!

サンがキュキュキュ

 この前友達の結婚式に行ってきた。式が終わり高校時代の友人キョ・チ氏と話す。式に出席していなかった友人焼肉氏の話をする。その中でキョ氏が焼肉氏をディスった。「この前、焼肉氏の家に行きたいって言ったら、彼氏がそういうの嫌がるからダメって言われた。なんかそういうこと言う彼氏嫌いなんだよね。2人だけで生きてる訳じゃないんだしさ…つか彼氏を家から追い出せよ!それくらい言えるだろ!」たしかに!ほんとそう思う!とか言いながら私はウンウンと頷き、でも少しだけキョ氏の横暴さにびびる。

 帰り道、2人だけで生きている訳じゃないんだしさ…と言ったキョ氏の表情を何度かリフレインする。自粛(気持ちは緩くなってきてしまっているが)の影響で、一人暮らしの私は誰とも会わずに1日を終えることがしばしばある。1人でいることは苦じゃないし、むしろ周りには「1人さいこう!大好き!」みたいに言ってしまうけど、キョ氏の言葉を聞いてふと気がついた。

もしかしたら厳密には私は「1人」ではないのでは?

 第二の人格があるとか、アルコール化するとヤバイとか、心霊を信じているとか、そう言うことではない。もちろん物理的には部屋の中には自分の身体しかなく、「1人」だ。

 しかし、1人でいる時にひとりとして平然としているには、他者を想像する必要があるのではないか、と思った。

 私が1人が好きでいられるのは、裏を返せば家族がいることに思いを馳せられるからで、バンドについて考え闘志を燃やすことができるからで、友達が何をしているのか思いを巡らすことができるからなのでは…?

仮にこういうのが全部なくなったらどうなる?考えたら心の内側に冷たい水が満たされるように息苦しかったのでやめた。本当の孤独は厳しい。

 私は愕然とした。今後一切大腕を振って「一人サイコー!」と言うのはやめよう。私の平穏の背後には人の存在があるのだから。言うなら「一人サイコー!って言わせてもらってます!あざす!」の謙虚さが欲しい。そう言う訳で突然周りの全ての人にありがとうと言って回りたくなってきたけど、物理的にこの部屋には私しかいないので、寝返りを一回うって寝ます。