僕ね、隙間風が吹いたように孤独を感じたら「アイアムアペイシェンボーイ」と唱えてなかったことにしてるんですよ

 その僕はわたしなんだが。ここ最近は後ろ暗い気持ちを無理矢理リセットする言葉になっているね。

 もしかしたらだけど、実は何が起こっても感情が動かない透明な精神を持っているんだけど、状況次第で感情を自分で動かそうと思って動かしている人とか、もしかしたらいる?いい悪いはさておき、しんどいのか楽なのかでいったらどっちなんだろう?無意識で無になってしまう人は辛そうだけど、意識的に無にしようとしている人には楽そう。

 でも最近人と話していてこの状況に持っていこうとしている自分がいる。割と顔に出てしまう感情剥き出しの野生児タイプなんだけど、それもわかって無にするというか。一言も漏らすまいと思って共感がゼロになっているというか。めっちゃ不器用じゃんね。

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 おいコーヒーこぼれたぞ。おい。

 褒めることと貶すことは同じ、それは他者に対するコントロール欲求の表れだから、わたしはただ認めていたいという思想に去年は取り憑かれていた。アドラー的保育観を掘っていていつのまにか自分に育まれたものだと思う。そもそも自分に対して評価を下せるのは自分だけであり、それ以外のものを許すなという割とハードめな思想が宗教レベルでいつも頭の中にあった。それで過敏に褒めることを抑制し、褒められることに批判的になり、むしろ悲しい気持ちになるという謎なマインドになることが多かった。これはまだもうちょっと調整が必要っぽい。